十年ひと昔。
そう。すっかり忘れてたけど
先月で石垣島に住んで10年が過ぎた。
早いのう。ジジイだのう。せめて素敵なジジイになりたいのう。
自分の場合、石垣島に住む前に久米島(那覇から西へ100km)にも1年半ほど住んでたのでもう12年近くも沖縄県民という訳だ。
12年。6・3・3で12年。当時の小学1年生が高校を卒業するのだ。
大人の階段をのぼっているのだよ。ハッハ。
あの頃はNHKで「ちゅらさん」が放送される前で
いわゆる「沖縄ブーム」なんてのもなかった。
今にして思えば、なんとも「のどか」だった。
まあ何にせよ、石垣島もこの10年で随分変わったと思う。
(偉そうに言うつもりはございませんが・・・)
自分たちがこの島へ乗ってきたクルーズフェリー「飛龍」だってもう無いし。
見よ!この雄姿を。
この有村海運の「飛龍」と「飛龍21」の廃止はかなり悲しかった。
那覇へだって台湾へだって「飛行機」ではなく「船」という交通手段があった訳で。
まあこの時代に黒字の航路の方が珍しいだろうし、この航路も赤字だった。
(実際、何年か前に有村海運は会社更生法の適用を既に申請をしていました)
特に石垣から先(つまり石垣→基隆間)はあまり人は乗ってなかった。
以前、石垣から基隆(台湾)まで乗った時は12~3人位しかおらなんだ。ほぼ貸切。
「貸切」のデカいフェリーで
奥行のある基隆港を夜景を眺めつつユッタリと進むのは何とも気持ちがよかった。
実際あれだけ人が乗ってなかったら廃止になってもしょうがないけど。
廃止以後、石垣島、八重山を訪れる低予算の旅行者
つまりバックパッカーやキャンパー達、放浪者が目に見えて減った。
『バックパッカーは居なくなった』
代わりにというか、「飛龍」が廃止される以前から来てたけど
台湾からは巨大クルーズ船が大勢のお金持ちを乗せてやって来る。
『お金持ちがやって来る。ヤァ!ヤァ!ヤァ!』
バックパッカーは居なくなった
お金持ち達がやって来た
・・・僕はどこへ行くのだ。
なんて。プププ。
お前は、早く仕事をするのだ。