傍観論。

遠く。
 

震災地、被災地からあまりに遠い自分にとって
 
この場を借りて
 
「頑張りましょう!」等の記述をするのは嫌だったので書きませんでした

 
今の自分は駆けつけることが出来ない
 
 
でも、全く元気な自分や嫁に出来る事は「稼ぐ」こと
 
稼ぐといってもあくどい事する訳ではなく、働くということ

そして働いて稼いだ結果、寄付すること。税金を納めること 
 
税金が集まらないと国は破たん。ボランティアだけでは成り立たない
 
 
短期的には、おそらく義援金も凄まじい金額が集まるのでしょう 
 
でもきっと足らない。だから、稼げる可能性のある奴は稼ごう働こう
 
働こう。富国強国 
 
 
そして、原発の問題もあるし 
 
自分の育った街のそばにも原子力発電所があって 
 
夏ともなれば、泳いで沖に出ればその威容がドドーンと見えたりして
 
 
その昔、下手くそなバンドを組んだりして
 
「原発はいらねーー!」みたいな歌を歌ったとしても
 
ギターアンプが電気仕掛けで
 
何割かは「原子力」で成り立つ「音」であって
 
これは全く説得力がないと言えるし、そう思った 。 

しかしそれも現実。
 
 
こういった道理や不条理や矛盾なんかを思うと

やるせないんだけど。
 
それでも 
 
直接被害もなく生き残った人間は 
 
「明日は我が身」とか「情けは人の為ならず」 
 
と思うべきだ。考えるべきだ。
 
独善的で利己的だと糾弾されるかもしれないけど

決してそうではないと思う。

 
多くの人が心のどこかで本気でそう思えない限り
 
長期的な支援は難しいとも思ってしまう 
 
 
しかしやれると思う
 
 
 
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